中学受験で落ちた私立校、高校受験も不合格 「劣等感が消えない」私の立ち直り方

雑感
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私は中学、高校と同じ私立学校を受験し、どちらもうまくいきませんでした。正直、とても悔しかったです。実際に経験して分かった劣等感との付き合い方や、同じ立場の人に向けたメッセージをお伝えしようと思います。(はちみつの皮=2年)

私は中学受験はしていませんが、高校受験と大学受験でそれぞれ失敗しています。大学受験では浪人も経験しました。

(目指していた)志望校に合格した友人達を横目に見ながら、違う学校に進学するという事実に直面すると、嫌でも劣等感が生まれます。入学して1週間位は「ここは自分の居る場所ではないのではないか?」などと考えたりもします。

しかし不思議なもので、数ヶ月もすると結構その学校のカラーに染まってしまうのです。言い換えると、時間が解決するという感じでしょうか。

しかし、結論として言えること、私がこの記事で伝えたいことは、「なんやかんやでやったことは無駄にはならなかった」ということです。きれいごとすぎるかもしれませんが、覚えた公式は私を裏切りませんでした。小さいときから塾に行かせてもらったおかげで身についた「論理的に考える力」は、課題を解決する上でとても頼もしいものになっています

中学受験や高校受験には「浪人」はないので、第一志望校に不合格ならば、第二志望校以下の学校に進むことになります。

合格発表の前後において(合否によって)、環境面では変わるかもしれませんが、生徒個人の内面は合格前後でほとんど変わっていないはずです。

つまり、合格を目指してやってきたこと(努力)については、試験の合否に関わらず、確実に身についているということです。

なので、悲観する必要はまったくありません

劣等感をどうにかしたくて、ボランティアやこの高校生記者のような新しいことに積極的にチャレンジするようにもなりました。これらは「自分はこのままではだめだ」「どうせ自分なんかたいしたことないんだからいろいろやってみよう」「やってダメなら考えよう」という、ある意味捨て身の、劣等感の裏返しなのかもしれません。

不合格という挫折(人生全体で見れば些細なものですが…)を経験すると、「自分がいかにできない人間か」という劣等感を覚えます。「自分など居てもいなくても同じではないか」などと感じたりもします。

ここで卑屈になるか、開き直るかの差が大きい。

もちろん、(次の試験での挽回を目指して)今まで以上に一生懸命勉強するのも良いでしょう。特に、浪人生の場合は大学に入らないと何事も始まらないので、大学合格が最優先事項となります。

しかし、仮に希望する学校(中学・高校・大学等)とは別の学校に通うことになった場合、少し視点を変えてみることも大切だと思うのです。

例えば、(自分だけの勉強に専心するのではなく)「友人に勉強を教えてあげる」、「近所の掃除を自主的にやってみる」、「卒業した学校の同窓会を企画してみる」というように、自分の時間や労力を「他人のために」使ってみることも大切だと思うのです。「他人のために」自分の時間や労力を割けば「他人から感謝」されます。

「他人へ貢献する → 他人から感謝される → 自己肯定感が高まる」という流れが生まれ、さらに色々なことにチャレンジする勇気が湧いてきます。

受験に成功することは確かに望ましいことですが、一方で(成功している以上)自分を変えるインセンティブは生まれません。うまくいっていれば特に変える必要がありませんから。

しかし、受験の失敗を契機に、今まで自分が避けていたこと、自分が苦手だったことに「ダメもと」でチャレンジすることで、新しい自分が発見できる可能性が生まれます。

災い転じて福となす。人間万事塞翁が馬です。

 

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