中学受験の「失敗」とは何か?「不合格」よりも怖いこと

雑感
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塾の先生たちも「家では勉強を教えないでください」と口を酸っぱくして言う。親子では心理的な距離が近すぎて、お互いにストレスが溜まってしまうからだ。

(中略)

でも、ただでさえ速く正確に正解にたどり着くことを求められる中学受験勉強において、自分なりの勉強方法を見つける試行錯誤すら許されず、勉強の仕方まで手取り足取り指図されるのだとしたら、中学受験勉強という営みのなかのどこに、子どもたちは「自分」を感じることができるのだろうか。

速く正確に正解にたどり着くことがルールであることは、スポーツにルールがあるのと同じで仕方がない。しかしゴールを目指す方法すら「自分では考えるな」と言われたら、そんな勉強の何が楽しいのか。

塾の先生が親に対して「勉強を教えないで欲しい」と言うのは、もちろん親子間の感情的なストレスを危惧する点もあると思います。

しかしそれ以上に

① 塾で教える方法と親が教える方法が違うと子供が混乱する
② 間違った方法・不適切な方法で教えて変な癖がつくと矯正が難しい

という理由の方が大きいと思います。

実際のことろ、「えっ、そんなことも塾で教わっていないの?」ということもしばしばあります。なので、家庭での勉強面のサポートというのはある程度せざるを得ないのが実情だと思います。

また、「勉強を教える」と言っても、例えば、(子供が)分からない問題についてはヒントを与えたり、一緒に考えてみたりという感じで、むしろ親子で一緒に勉強を楽しむという感覚の方がしっくりきます。

あるいは、計算式の書き方、問題を解く際の図の書き方、あるいはノートの使い方など、塾では教えない(チェックしない)ことも家庭であれば教えることができます。

逆に問題なのはマイクロマネジメントの方でしょうか。

子供のスケジュールや課題などをこと細かく親が決めて管理すると、子供のストレスは溜まります。また、子供も「次に何をすればよいのか」を自ら考えずに、常に親や他人からの指示を待つようになる危険性があります。

親と子供はそもそも上司と部下の関係ではないので、(親による子供の)マネジメントという発想自体馴染まないと思います。敢えてマネジメントというならば、「コーチング」のようなマネジメントスタイルでしょうか。

中学受験は、親子で同じ方向に向かって進む共同作業と考える方がお互いストレスなく取り組めるように思います。

いくら望みの学校に合格できたとしても、他人から言われたとおりのことをこなせるだけのロボットみたいな人間になってしまったり、自分で試行錯誤する前に「どうするのが正解ですか?」と尋ねるひとになってしまったり、ましてや自分より偏差値が低い受験生を「努力ができないダメ人間だ」なんて見下すようになってしまったりするのならその中学受験こそ、私に言わせれば失敗だ。

中学受験に合格するためには、とりわけ難関と言われる学校に合格するためには、効率の良い学習をする必要があります。最短ルートで正解にたどり着くような解法を身につけ、多くの問題を解くことが必要となります。

一方、「勉強の本質」が、試行錯誤しながら自らじっくり考えることだとすると、本質的な勉強とは程遠い

もっとも、制限時間のある試験で良い結果(=合格)を目指すという点から見ると、大学受験も国家資格試験も状況はまったく同じといえるでしょう。国家試験とは言え、入り口に過ぎないわけなので、問われる内容は専門領域には程遠かったりします。

なので、「今は、〇〇試験合格という特別な状況下で頑張っているのだ」という認識を持つことが必要だと思うのです。少なくとも親御さんは。さらに言えば、中学受験とは全く違う世界があるということも。

冷静に考えてみれば当たり前のことなのですが、中学受験の世界にドップリ漬かってしまうと、「自分達のいる世界・見えている世界こそすべて」という錯覚が生じます。

特に、中学受験塾は良くも悪くも偏差値で学校を序列化し、また、難関中学の進学実績をPRする傾向があるので、そうした風潮に感化されがちです。

そして、偏差値や進学した学校などで他人を見下したり、あるいは、(成績が良い)自分達が何か特別な存在であるかのうように思い違いをしてしまう危険性すらあります。

実力も運のうち 能力主義は正義か?でサンデル教授が警鐘を鳴らす世界に迷い込んでしまうのは避けたいものです。

 

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