東大調査報告書で考える「成功者による差別」の芽

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東大調査報告書で考える「成功者による差別」の芽
筆者が、中学受験関連で母親たちに取材していたときのこと。「成績優秀な小学生の子」を持つ母親たちが、“ある現象”について口にするのを聞いた。その学校を見に行ったこともなければ、親が目指すように言ってい…

 国内における偏差値競争の“最たる行く先”ともいえる東京大学は、最近ダイバーシティ&インクルージョン宣言を発出した。

その背景として、点数や偏差値至上主義で競争してきた人たちによるコミュニティでは、マイノリティへの想像力を欠いた言動がまかりとおりがちであること。そしてそのような環境を当たり前だと思っている若い世代が社会に輩出され、社会に蔓延する偏見や無配慮を再生産してしまうこと。これらが問題視されはじめている

この問題に関しては、マイケル・サンデル教授の以下の書籍にも詳しく記述されています。

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子供の頃から一生懸命頑張って(世間的な評価で見た)良い中学・高校・大学に入ることは、もちろん当人が頑張った成果ではあります。努力する姿勢も素晴らしいことです。

しかし、能力主義や成果主義(メリトクラシー)が蔓延すると、「成果を上げられなかった人=必要な努力をしなかった人」というような「レッテル貼り」や「自己責任論」へとすり替わっていく危険性があります。

その結果、「優秀かもしれないが、傲慢で、鼻持ちならない、想像力に欠けた不遜なエリート群」が大量生産される危険性があるわけです。

このことに対して、最高学府である東大もかなり問題意識を持っているようです。

東京大学藤井輝夫総長は今年、入学式の祝辞で「ケア」について次のように述べている。

「ケア」に関して、政治学者のジョアン・トロントは、Who cares? という秀逸なタイトルの本を著しています。Who cares? は、直訳すれば「ケアするのは誰か」という問いかけですが、英語圏の日常会話では多くの場合「知ったことか」という切り捨ての意味で用いられます。

「そんなことは知らない、ケアなどするものか」という姿勢が、尊大なマジョリティやエリートのなかに蔓延しがちであること、「自分たちが社会から自立して存在しているのだ」と考えるような危険なものであることを、トロントは批判的に指摘しています。

 

この数年前、2019年の東大入学式では、上野千鶴子名誉教授も次のように挨拶している。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

(中略)

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

「世のため人のため」という言葉が昔からあるように、自分の能力や成功は自分だけの努力ではないことを自覚し、(幸運にも)自分が活躍できる場を与えられたことに感謝し、さらに努力を積み重ねる。

こうした思考が大切なのだと思います。

 

前回記事で、過熱する中学受験の様相を取り上げたが、とりわけ受験経験があまりにハードモードであれば、そこで頑張った成果というのは環境や運ではなく、自分の力で勝ち得たものだと思いたくなる心理も働くだろう

大事なわが子を3年以上、週に数回の高頻度で通わせる塾をどのような基準で選んでいるだろうか。進学先の学校選びにおいても、偏差値以外の要素を事実上どれだけ重視しているだろうか。

偏差値主義に追い立ててはいないか。男尊女卑的な価値観が蔓延していないか。進学実績以外のカルチャーをきちんと見ることができているか。

近年、世界的にも、政治やビジネスの場面で、成功者に見えていた人たちが差別発言やハラスメント加害者となり失脚することが増えている。今回紹介した東大の現状と変化を知り、親たちがわが子の将来のために、考えておくべきことは少なくないかもしれない

先月24日に90歳で逝去された稲盛和夫氏。
中学受験にも(大学受験にも)失敗し、失敗の連続だったようですが、稀有な功績を残されました。

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