本日の記事はこちらです。
「環奈がどうも元気がなくて⋯⋯。『学校で何かあったのかな?』ってすごく心配したんですが、本人は『なんでもない』って言うばかりで。これがいわゆる反抗期ってものの始まりなんでしょうか?」 このように、「なんとなく我が子の元気がない」と見て取れるのに、子ども本人が「なんでもない」という場合、主に2つのケースが考えられる。…(中略)…そして、もう1つが「自分でも言語化できないモヤモヤを抱えているケース」だ。本人も原因がはっきり掴めず、何となくモヤモヤしているということも意外と多いのだ。
悩みや不安というのはなかなか相談しにくいものです。
その原因として、「自分の弱さを人に知られる」というある種の恥ずかしさもあると思いますが、むしろ「悩みや不安の原因が何なのか」が本人自身も良く分かっていないケースもあると思います。
原因が自分自身でも分からないため余計にイライラしたり、また、解決するまで時間がかかったりする危険性があります。
環奈さんの中学受験の志望順位としては、進学校であるM学園→中堅校のY女子。「でも、気付いちゃったんですよ、自分の本心に⋯⋯。明菜母子にああ言われたことで、蓋をしていた自分の気持ちが表面に現れたんだと思うんです。『そっか、やっぱり、人から見たらY女子は残念で、“ドンマイ!”の学校なのか⋯⋯』って世評が目に見えちゃったって感じですかね⋯⋯。世間全体から、自分の学校も、自分も無価値だって言われたような錯覚を覚えました」もちろん、明菜さん母子に悪気があったわけではなく、単純に「残念だったね。でも、Y女子で頑張ってね」という気持ちで言ったのだと思うとは環奈さんの弁だ。
何気ない言葉に傷ついたり、あるいは傷つけたりという経験は誰にもあるはずです。
①近所の顔見知り、かつ、②同世代の子供がいるといったように「比較対象になりやすい人」との間では、中学受験のような機微な話題は避けた方が無難ですね。
結局、「うちの子自慢」や「愚痴のこぼし合い」、あるいは「余計な情報を仕入れて不安になる」みたいな、あまり生産的な活動には結び付きませんので。
「M学園との練習試合があったんです。そしたら、どういうわけか勝っちゃって⋯⋯。チームの皆で抱き合って泣いたんです。なんだろう? その時、『私はこの学校とこの仲間が好き!』って思えて、なんか吹っ切れちゃったっていうか⋯⋯」中学受験は残酷なことに「高偏差値=価値がある」との刷り込みを受けやすいものだ。「校風で選んだ!」と言い切る心の隙間に、刷り込まれてきた世評が時として顔を覗かせてしまうこともある。「自分はこの道で大丈夫!」と言えるきっかけはさまざまだが、環奈さんのように何かひとつ自信が芽生えると、負の記憶を乗り越えて強くなっていくんだなという思いを持っている。
中学受験は、良くも悪くも「偏差値」という指標によって序列化されやすい世界。塾に入れば偏差値が毎回のテストで示され、志望校選びも偏差値を基準に候補を絞るなど、偏差値はもはや無視できない存在になっています。
仮に満足のいく学校選びができて、順調な中学生活がスタートできたとしても、しばらくの間は世評(=偏差値による序列)が気になってしまうのも理解できます。中学に入ってしまえば「中学受験用の偏差値」なんて無用の指標なのに…。
今回の記事のように、「試合で勝利」という象徴的な出来事で吹っ切れることもあれば、時間とともに徐々に気持ちが切り替わってくることもあると思います。
また、中学校に入学するまでは、
☒ 「第一志望に合格=最初から充実した中学生活」
☒ 「第一志望残念=何となくブルーな気持ちで生活がスタート」
というようなイメージがあったりしますが、現実はまったく異なります。
思春期の心理状態というのは、大人が理屈で考えるよりもはるかに微妙で捉えどころがないもの。子供の心理状態を言語化することが難しいのは親(大人)も一緒。
仮に希望の中学に入れなかったとしても、縁あって入学した学校。
親子ともに前向きな気持ちで日々を楽しく過ごすことが大切だと思います。
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