中学受験における東大「御三家」はもう古い? 大切なのは「偏差値以外」の教育的価値がある学校選び

雑感
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御三家にあらずんば人にあらず?

中学受験塾の側でもこうした学校は「実績重点校」として掲げているケースが多く、最上位クラスの講師たちはみな「御三家にあらずんば人にあらず」とばかりに受験生(小学生)たちをたきつけ、煽情し、親たちを洗脳します。(中略)しかし、塾の先生たちが子ども達を「御三家にあらずんば人にあらず」と煽動すると、子どもの心を歪めてしまう危険性も出てきてしまいます。

ここまで過激な例はないかもしれませんが、塾も合格実績を上げるのが目的。子供たちを鼓舞するために、かなり過激な言い方をするところもあります。

「塾の先生は、ああ言うけどさ…」というように冷静に受け止められる子供は良いのですが、何分まだ小学生。(好きな)塾の先生の言うことを真に受け、さらにエスカレートしていって、「自分たちは成績が悪い子達よりも(あらゆる面で)優れている」という傲慢さを持ってしまう危険性もあります。

子供達にその気はなくても、大人たちに煽られて「そういうものだ」と思ってしまう危険性があるのです。

こうした傲慢さが見られたら、ご家庭で早い段階で摘んでおかないと、是正するのが段々難しくなると思います。

偏差値の魔力

偏差値というのは母集団によって大きく変動するものですし、そもそも“人間性”や“将来性”には何の関係もありません。(中略)それなのに、その人のほんの一部を表す偏差値という偏った数値で評価を下すことに慣れてしまうと、“本当に有能な人”とただ“単にお勉強ができるだけの人”の区別がつかず、人生において大きな損をしてしまいかねません。

中学受験塾に行く目的は、(極論すれば)成績を上げて希望の中学に合格することです。

最近では、(他の)塾に対する差別化要因として、「人格形成」の重要性を標榜する塾もありますが、それはあくまで副次的なもの。人格形成を主目的に進学塾に通わせるご家庭は(あったとしても)少数派でしょう。

生徒の成績を上げて合格実績を上げるために、毎週のようにテストを実施しては点数、順位、偏差値を出すということが行われます。

子どもは点数や順位といった「イメージしやすい指標」に反応しますが、親が気にする指標は「偏差値」になります。

塾 ー 子供 ー 親の三者が「偏差値」という共通指標を持つこと自体は良いのですが、「高偏差値=優れた人間」という傲慢な認識を子供が持ってしまうことは危険です。

進学塾に通うことは、時としてそうした危険性を内包しているということは認識する必要があると思います。

未来の社会と教育

2045年にはAI技術がどんどん進歩し、AI自らがより高いスペックのAIを開発していって、その能力が人間を超えると予測されているのです。(中略)シンギュラリティを迎えた後の人々の生活は、現代とは一変しているでしょう。そんな時代を生き抜かなければならない現代の子ども達に必要なことは、本当に偏差値教育なのでしょうか。(中略)大切なことは私たち大人が、どんな未来がやってきても自ら人生を切り拓いていけるよう、子ども達を導いてあげなければならないということです。

最近語られることが増えてきた、「未来の社会の姿」とそれに伴って「必要となるであろう能力」

色々なことが言われていますが、「多分その答えは、今の大人達では分からないだろう」というのが私の仮説です。

それは今の大人たちが運営する「中学」や「高校」でも同じ

「将来、こういう力が求められるのではないか」という仮説の下に、色々な取り組みを行っているわけですが、「それが本当に将来求められる力なのか」とか、「子供達や親のニーズにマッチしているのか」とか、「(内容面の充実というより)他の学校に対する差別化アピールがメインになっているのではないか」という危惧もあります。

結果、「(あまり極端に走らない)中道派路線(?)」の学校が相変わらず多いという気がします。

学校教育や家庭教育などでは「ある地点まで」は子供達を導けるかもしれませんが、その先は子供達が考えて進むことになります。

ただ、私が仮説として持っていることは、「将来は、より少数の優秀な人材が社会を牽引する姿になるだろう」ということです。AIの進展や少子化、グローバル化がその底流にあります。

その時に、「優秀だが傲慢な人間」が牽引するのか、「優秀で謙虚な人間」が牽引するか…世の中の姿は大きく変わると思います。

 

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