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「偏差値」ではなく、「素点主義」で
受験勉強中は、 「偏差値」のことは、あまり気にしないで大丈夫です。
偏差値とは、僕のような家庭教師や塾など、プロが使う指標。家庭で使いこなすにはちょっと難しい道具なのです。(中略)
もしも塾やお友達の雰囲気に押されて、自分の子が偏差値を気にするようになったら、ぜひたしなめてください。偏差値は「他人の不出来を願う」というネガティブマインドにもつながるので、長期視点でも良くないでしょう。
ちなみに他人を思いやる力は、そのまま国語力にもつながります。 偏差値主義の行き着くはては、国語力のダウン。「ウソ⁉︎」と思うかもしれませんが、真理です。
代わりに気にしてほしいのは「素点」。テストで実際に何点を獲得したか、です。素点にこそお子さんの頑張りが表れやすく、また改善点も見えやすいからです。
中学受験を目指して塾に行けば、試験のたびに偏差値が出ます。
「気にしても仕方がない」と頭では分かっているものの、ついつい気になってしまいます。
偏差値を利用すると、母集団の中における位置を知ることができます。問題の難易度に関わらず相対的な位置が把握できるので、「素点」よりは優れた指標であると考えられています。
しかし一方で、偏差値は「他者との比較」が前提になっています。よって、必要以上に他人を気にしてしまうという悪い側面もあります。
「素点」は、点数が難易度によって変動するネックはあるものの、非常にシンプルです。単元学習段階での試験あれば、素点によってその単元の理解度も概ね把握できます(設問別の正答率データがあれば完璧です)。
また、「前回の試験よりどれだけ上がった(下がった)のか」、とか、「次回は何点を目標にするのか」、というように(他人に関係なく)自分自身の達成基準(目標)を設定しやすい。
現在は模試ごとに偏差値が算出されるので感覚が麻痺していますが、単元学習が終わるまでは「素点」、「平均点」、「問題別の正答率」といった情報があれば、偏差値は必要ないのかもしれません。
偏差値よりも見るべきところ
その上で、今度は「問題用紙」と「解答用紙」を見ながら、次のことをチェックします。
———-
・大きく踏み外している分野がないか・テストの過程を頑張ったか(途中式や記述を頑張っているか、その痕跡があるか)
・以前のテストから少しでも改善があるか
———-根本的にわかっていない分野はやり直せば良く、途中まで頑張っているのなら、時間が足りていないという原因がわかります。もし、前のテストよりも、例えば「漢字の正解数が増えた」「最後の問題までとにかく手はつけた」など、改善されたところが少しでも見られたら、それはほめてあげてください。
こうした分析を、親御さんが試験のたびにかつ微に入り細に入り行うのは、結構厳しそうですね。
(ここは家庭教師の出番でしょうか。)
親御さんがやる場合、データを用いながら以下のような確認をすることが多いのではないでしょうか。
⇒ 正解率データの利用
(2)頑張って解いた形跡があるか(空欄がないか)
⇒ 答案用紙のチェック
(3)空欄ある場合には、時間不足か解答放棄かの確認
⇒ 本人へのヒヤリングと正解率データで補完
判断が難しいのが(3)です。
例えば記号問題の場合、分からなくても適当に書いて正解するより、分からなくて空欄のまま残してある方が、(出来ていないことが分かるので)復習に好都合だったりします。
しかし実際の入試では「とりあえず全部埋める」ということが必要なわけで、空欄(特に記号)はNGです。
子どもは、「分からないんだから、適当に(誤魔化して)書くのは良くないことだ」というような正義感みたいなものがあったりします。
これはこれで正論なので、親から「適当に埋めておきなさい」などとはなかなか言えないわけです。
いわゆる「点取り」をどの辺りから意識させるのか、なかなか難しかった記憶があります。
でも、長年子どもたちに関わってきてわかったのですが、いくら大人が怒ったり責めたりして、一時的に効果が見えたとしても、まず持続しません。結果もだいたい良いことにはならないのです。
本人がうんと痛い思いをして、「自分でなんとかしないと!」と心の底から思い知るほか、どうも更生の道はないのです。
結局、子供が自覚しないと変わりませんね。
それは分かっているのですが、子供があまり自覚しない中、とりあえず中学受験は進めないといけない。騙し騙し、妥協しながら…。 🙂
その辺は(親としての)ジレンマを感じますね。
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