中学受験せず公立中学で苦しんだ人たちが語る「“多様性”の中で学んだこと」

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「社会の縮図」「多様性」

都内の公立小・中・高から有名私立大学に進学した30代女性・Aさん(メーカー勤務)は、「たしかに公立中での生活に“向き・不向き”はあるかもしれません」と指摘する。

「公立中にはそれぞれの家庭環境で、いろいろな子たちがいるため『社会の縮図』『多様性』などと称されますが、実際その通りだと思います。私の通っていた中学には、警察沙汰になる子、障害を持つ子、給食費が払えない子など、本当にさまざまな子がいました。世の中にはいろいろな人がいる、という当たり前の感覚は、やはり公立中時代に大きく培われたと思います。

私自身、中学時代は公立中学で過ごしました。
当時私の住んでいた地域では、中学受験率は2~3%程度だった記憶があります。したがって、公立中学に通うのが当たり前で、現在の首都圏とは状況がまったく異なります。

私が通った公立中学は、設立2年目の新設校。私たちは2期生でした。
全6クラスで1学年250人ほどだったでしょうか。

2期生ということは、つまり「3年生がいない」わけです。
「怖い(?)上級生が少ない」という点で、私たち新入生にとってはラッキーな環境でした。

実際、隣の学区の中学はかなり荒れていて、窓ガラスが割られたり、卒業式間近になると、警察が出張って来たり…。仮に、「新設校」が出来ていなかったら私もその学校に行くはずでした。

「娘には、似たような価値観のなかに埋もれるのではなく、たくましく生きる術を学んでほしいと私は思っているんです。そのためには私立中よりも公立中のほうがいいと思う。でも、私立育ちの夫はどこかおっとりしているけど、いろんなことに余裕があるのも事実。公立中だと、中学に入ったらあっという間に高校受験が来てしまうけど、中高一貫校なら6年間ガッツリ人間関係を構築できるし、受験がない分、遊ぶこともできそう。とはいえ、中学受験するとなると子供にかかるストレスがすごそうだし……悩ましいところです」(Aさん)

確かに、「思春期において多様性に自然に接する場」という意味では、公立中学に代替できる場所はあまりないでしょう。

私自身の経験でも、高校 ⇒ 大学と進むにつれ、家庭環境や価値観などが似通った友人たちに囲まれるケースが多くなりました。その意味では居心地は良いのですが、「多様性」は徐々に無くなっていったかな、という感じがします。

ただ、中高一貫校の良さも一方ではあるわけで、どちらか一方が常に優れているわけでもありません。同時に2つの中学校には通えないので、どちらかを選ばなければならない

なお、社会人になってからMBA留学でDiversity(多様性)を体感しましたが、考えてみると、国籍や文化の多様性は経験できたものの、経済面では(MBA留学できるほど裕福なので)恵まれており、かつ、野心的であるという点では、ある意味同質的な集団だったのかもしれません。

ベンチャー企業で活きた中学時代の処世術

「僕の通っていた公立中は、当時かなり“荒れていた”ほうだったのですが、だからこそ学んだことも少なくない。いろんな人が雑多にいる環境のなかでどう生き残るか、“サバイバル術”を覚えたことが、その後の人生に大きく役立ちました

(中略)

「私は地味で目立たないタイプで、学校のなかでは“優等生”キャラでしたが、平和に暮らすためには地元のやんちゃな同級生たちと仲良くしていくことが必須でした。彼らのカルチャーや価値観を尊重しつつ、試験前には丁寧に勉強を教えたことも。一人の不良と仲良くなったら、その不良がほかの不良から私を守ってくれるようになったりして、新鮮な驚きがあったのを覚えています。自分と違うタイプの人たちを避けるのではなく、距離感をつかみながらうまく関わっていく大切さを学びました」(Bさん)

私も、中学入学後に入った部活では、当時結構幅を利かしていた(?)先輩方(中2)とたまたま同じクラブになったこと、また、その先輩方に(なぜか)目をかけてもらったことから、ラッキーなことに上級生(中2生)からのイジメは皆無でしたね。

校舎内で(ちょっと怖そうな)先輩方に気軽に声をかけてもらえるということは、安心できる(?)中学生活を送る上では大きな要因だったと思います。

で、すっかり安心したのか、学校内では多分偉そうにしてたんでしょうね。
「同級生」の悪グループ数名から早速目を付けられましたよ。
「お前が〇〇か。随分粋がってんじゃねーか?」って感じです。

私は「平和主義者」なので、その後は努めて大人しく(目立たないように)して、ほとぼりが冷めるのを待ちました。当時、その悪グループを率いていたリーダー格は中1で身長180cm近い生徒で、学校内でも何回か問題行動を起こしていましたが、1学期途中で(親の都合で)転校してしまいました。

リーダー格の生徒がいなくなったことで、悪グループ自体も徐々に目立たなくなり、その後は安心して(?)中学生活を送ることができました。

当時は分からなかったのですが、(中学を卒業した)後に、その転校したリーダ格の生徒は、家庭的に結構複雑な事情を抱えていたことを知りました。

中学時代においては「多様性を認める」という域には到底至りませんでしたが、多感な時代において、「同級生や上級生とどのように接するのが(自分にとって)良いのか」ということは、試行錯誤をしながら学んだように思います。

大手企業では同じような学歴で、似たような価値観を持つ人が多くて仕事はしやすかったです。でも、ベンチャー企業に転職したら、属性は正社員だけでなく、学生のアルバイト、パートの女性、フリーランスなど多種多様で、学歴もざっくばらん。彼らをマネジメントするうえで、中学時代の経験が役立ちました。社会に出たら嫌な人や自分には理解できない人もいます。どう受け止めて対処するか、自然と身についていたのかもかもしれません」(Bさん)

「世の中には色々な価値観や考え方の人がいる」という受容力、「自分の能力や経験などは大したことはない」という謙虚な姿勢が必要だと思います。

前者はできるだけ多くの多様性に触れることによって、後者は自分自身が小さな失敗を積み重ねることによって育まれると思います。そして、両者が相まって他人を尊重するという基本姿勢が生まれると思います。

個人的に注意が必要だと思うのは、同質的な集団(中高一貫校、一流大学、一流企業…など)は、基本的に居心地が良い。その居心地の良さに長年ドップリ漬かってしまうと、世間の一般的な感覚と大きくズレていくことです。

なので、同質的な集団に属しているのであれば、(意識的に)異質な集団へ移動したり、同時に異質な集団に身を置くようにする必要があると思います。

転職、留学、地域のボランティア、趣味サークルなど、多様性を体感できる場というのは案外沢山あるのかもしれません。

 

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