中学受験で人生が決まるわけじゃない

雑感
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おおた 間違いなくそうです。中学受験の専門家でも自分が親として中学受験を迎えた時に、これまで何も見えていなかったと気づくと言います。ある塾の先生は、難関の私立中高一貫校に通っていたお子さんが、退学処分を受けるなど荒れた時期があったと語り、親が距離を置いて見守ることの大切さを説いていました。中学受験カウンセラーの方の失敗談を聞いたこともあります。中学受験の知識の有無は関係ありません。

塾のベテラン講師など中学受験界の専門家の方でも、「自分の子供」のことになると、塾生を扱うようなわけにはいかないということですね。

塾生達の受験は冷静に捉えることができても、我が子の受験については冷静に対応するのが難しいということは、「親としての」中学受験への取り組み方の難しさを物語っています。

おおた 取材していると、地方出身のお父さんが行きすぎてしまう例もよく見ます。地方は伝統のある公立高校をトップとする序列がはっきりしているので、ご本人が中学受験をしておらず、私立の学校文化とは無縁だったからこそ、偏差値が序列そのものに見えてしまうことがあるんです。だから偏差値がひとつ下がっただけでも許せない。地方の高校受験の感覚を子どもの中学受験に当てはめると、すごくシビアなものになってしまいます。
そういう人の多くは地方のトップ校、有名大学、大企業と競争社会のなかで勝ち組として生き残ってきていて、ビジネス的な観点で戦略的に中学受験に取り組むと、子どもを壊してしまうことがあるんです。自分自身も中学受験をして、第二志望、第三志望の学校に行きました、という人は、第一志望に不合格でも人生って何とかなると肌で知っています。偏差値と関係なく、それぞれの学校にカラーがあるとわかっているから、大らかな気持ちでいられるんです。

例外はあるかもしれませんが、公立校というのは概して校風というのはあまり感じません。一つには先生方が数年で変わってしまうので、なかなか統一的な校風が形成しにくい。したがって、偏差値や内申点による序列がかなりはっきり出ます。

一方、現在の中学受験も受験塾による偏差値による序列化が行われており、公立高校の(偏差値等による)序列化と似たような状況にあると言えるかもしれません。

その意味で、公立校出身(特に地域トップ校出身)の親御さんの方が、子供を追い込む危険性が高いと言えるかもしれません。

朝比奈 『なぜ中学受験するのか?』に損得勘定という言葉が出てきました。親が「こっちにいたら得だから」「こういうことをしたら得だから」と結果への最短距離を求めてしまうために、幸せな回り道ができない子を量産していると感じます。でも回り道をしたり落とし穴に落ちたりすることが人生の味わいであったり、自分や周りの人を幸せにする力を育んでくれたりすると思うんです。子どもの頃から損得勘定を植え付けられてしまうと、大人になって自分の人生が幸せだと感じられないこともあります。

おおた なぜ損得勘定にとらわれてしまうかというと、現代の人々が何事もビジネス的な観点で評価するようになったからです。何を買うにしても何を選ぶにしてもコスパなど目に見える数字で判断してしまうんです。その延長線上で中学受験を見てしまうことが根本的な問題だと思います。だけど子どもを育てるには、思い通りにいかないことも思いがけないよろこびもたくさんあります。ビジネス的な論理と合うわけがないんです。

「結果への最短距離を求める」、「損得勘定で評価する」という風潮は、近年特に高まっているように思います。

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が最近の著書(実力も運のうち)で警鐘を鳴らしていますが、世の中全体が功利主義にかなり傾いている感があります。

功利主義的な思想から「最も遠い」はずの子供たちの世界の中に、功利主義的思考が相当に入り込んでいるとすれば、やはり健全とは言えないように思うのです。

人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
(フランシス・ベーコン 哲学者、神学者、法学者)
世間からいくら拍手喝采をあびようとも、結局、自分らしく生きているという実感が得られなければ、何の意味もない。(斎藤茂太 精神科医、随筆家)

 

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