書店で平積みになっていてる分厚い独学大全。の著者の「読書猿」さんと予備校講師の方(田中さん)の対談です。
「独学大全」は以前から気になっていた本でしたが、今度じっくり読んでみようと思います。
受験を勝ち抜くために必要なのは「情報の整理」
田中健一(以下、田中):「予備校=受験テクニックを教えている場所」というイメージがあるかもしれませんが、実際にはもっと真摯に、生徒に向き合っています。具体的には、合格点を取るためだけではなく、大学に入ってからも役立つことを伝えようと日々努力しています。
読書猿:完全に同意です。私は仕切りをこしらえて、いろんな知的営為を無関係なもののように切り離すのを反対する立場なので、高校で学ぶことも学術研究も「陸続き」だと考えています。受験勉強も例外ではありません。(中略)誰かの学習を支援しようと思ったとき、他人ができる最たるものは、情報の整理です。この整理には、学習内容に関するものと、学習方法に関するものがありますが、このうち予備校で行われるメインは、学習内容の整理だと思います。
私自身、大学受験時には予備校を利用しましたが、受験に必要な知識を体系化して教えてくれるという点で、予備校の存在は大きかったです。
また、一人で勉強していると気がつかない盲点や、背景知識なども教えてもらえるので、効率的に勉強をすることができたと思います。
また、予備校の先生方も、大学受験に合格するだけ知識だけでなく、人生に役立つ様々な雑談を織り交ぜた授業を展開しており、むしろ雑談の方が印象に残っていたりします。
ただ、当時通った予備校の講師陣は伊藤和夫師をはじめ錚々たる布陣であったため、大学の授業が面白く感じられず、授業を真面目に聴かなかったというマイナス面はありました。
読書猿:『独学大全』の話をするのを忘れていました(笑)。情報の整理の話で言うと、この本が整理してくれているのは、広い意味での「学習方法に関する情報」です。覚え方、読み方だけでなく、多くの勉強法本では前提にされている、取り掛かり方や続け方、教材の選び方や探し方についても多くのページを割いています。
塾や予備校では学習内容を整理した教材を利用し、それに基づいて効率的に知識を伝授しますが、学習方法そのものを教えてくれる人はあまりいません。その意味では、独学大全は貴重ですね。
自分自身振り返ってみると、中学・高校時代はもとより、予備校に通っていた頃も極めて非効率的な勉強をしていたと思います。
その後、大学時代に某予備校(受験機関)に通うことになりますが、その頃から徐々に勉強方法に意識が向いていった気がします。
自分自身の(失敗したものも含め)経験値の蓄積から、自分に合った方法を見つけることができると、独学が最強となります。
学習参考書は、大人にもコスパ最強の教材
読書猿:受験勉強には、全然向かい合ってませんでした。やってるふりだけで逃げ回っていたといっても過言じゃありません。言い訳をすると、勉強するとはどういうことか、18歳の私はまるで分かってなかったんです。何をすればいいのかはもちろん、やればどういうことになるのか、学んだ先に何が待っているのか、まるで想像できなかった。(中略) ほんとにレギュレーションに救われた形で合格しましたが、無理に独学につなげると、私にとって受験勉強は、「自分がいかに、勉強するとはどういうことか分かってないか」を身にしみた体験でした。
「これ、私のことですか?」という位、似ている状況に親近感を覚えました。
結局、自分自身で手痛い失敗や挫折を経験しないと、次に向かう強力な推進力にはなりにくいということだと思います。
ただ、失敗や挫折経験は「自己を顧みる力=内省力」とセットでないと、単なる挫折経験で終わってしまいます。
中学生・高校生位から挫折経験が生かせるように思いますが、小学生(=中学受験)位だと、幼過ぎて経験を活かせないのではないでしょうか。
中学受験の特殊性はこの辺りにもあると思います。
読書猿:いやあ、勉強のやり方も参考書も、高校時代はほんとに何も知らなかったんで。伊藤和夫をやったのも、大学卒業してからですし。……あるある話ですが、高校生の時、ほんとに参考書とか分からないんで、受験体験ものとか読んでみたんですよ。体験談を書誌として読む、ですね。読んだのは、エール出版社の「合格作戦」シリーズでしたか。
エール出版社の「合格作戦」シリーズも懐かしいです。書店で良く立ち読みしていましたね。
で、そこでお勧めの参考書を買って、「さあ、やるぞ」とか思って勉強するわけですが…まず間違いなく続きしません。
それも当然で、「参考にする体験記を間違っていたから」です。
私のような大学附属高校に通う学生が、難関中高一貫校に通う生徒の参考書を真似してもうまくいかないのは当然です。当時はその程度のことも分かっていませんでした。
読書猿:気になっている参考書は『独学大全』に書いたのですが、それ以外で挙げると、小池陽慈さんの『無敵の現代文記述攻略メソッド』。あとコストパフォーマンスがとんでもない『最新世界史図説 タペストリー』。参考書じゃなくて検定教科書ですが、同じ帝国書院の『新詳 世界史B』は、山川の教科書が「環大西洋革命」とか「近代世界システム」という用語をなんとか使わずに済まそうと要らない努力をしてるのに対して、サクッとこれらの概念を使ってずっと見通しのいい構成と記述になっている。断然おすすめです。 私が学習参考書に注目するのは、学生の方たちというマーケットがあるせいでしょうか、廉価で質の高いものが多いから、という身も蓋もない理由なんですが。
当家でも、山川 詳説世界史図録 第3版や山川 詳説日本史図録 第8版は持っていますが、著者の方は帝国書院推しのようですね。今度書店で見てみようと思います。
学習参考書-特に大学受験の参考書-はマーケットが大きく競争が激しいので、中長期的には良いものしか残らないという気がします。
ただ、著者の方が亡くなったりすると(忠実に改訂してくれる後継者がいないと)残念ながらいずれ絶版になります。
(私が受験した頃からあった参考書で)今も残ってそれなりに売れているのは、英文標準問題精講や英文解釈教室などがありますが、こうした本はごく一部であり、定番は相当入れ替わってしまった感があります。
例えば、大学への数学I&A (研文書院)は出版元の廃業で絶版、同じく大学への日本史 (研文書院)も出版元廃業、かつ、著者の安藤師も既に亡くなっています。最近では、いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編が「大学への日本史」の後継版として出ていますが、こちらは読んでいません。
重厚な「大学への日本史」と安藤師の緻密な板書授業(予備校の大教室の後方の席だとオペラグラスー現在のスタイリッシュなものでなく、折り畳み式のクラシカルなもの-が必須でした。)を受けた経験があるので、後継版の方は何となく手に取る気分にはなりません。
古文の読解 (ちくま学芸文庫)みたいに、復刻版として出版されたら買いますけど。
ただ、参考書も時代とともにドンドン良いものが出ており、入試傾向も変わってきているので、受験勉強をするなら現時点で評判の良いものから選ぶのが原則ですね。昔の参考書を使う必要はありません。
「自分から学ぶ子の親」は何をしている?
読書猿:できることはあまりないですね。親に限らず、大人たちが若い人を勉強に導くことに失敗するのは、自分だってできれば避けて通りたいと勉強のことを考えているからです。 そういう意味では、大人自身が何かを学ぶのが一番だと思います。
これはまさにその通りですね。
親がスマホ片手に、子供に「勉強しなさい」などと言っても子供が聞くわけないですから。
大人が面白そうに(かつ真剣に)何かを勉強していれば、子供も興味を持ちます。
「大人が勉強し始めると、2~3日後には子供も進んで勉強する」などと言うことはないと思いますが、長期的には間違いなく効果があります。
中学受験をサポートする親がイライラする原因の一つには、「自分の時間やお金を犠牲にしてこれだけ子供をサポートしてあげているのに、子供は親の努力に応えようとしない」という点にあります。
言い換えると、一種の「機会原価的思考」が働き、犠牲に見合う成果(=子供の成績上昇、第一志望校合格など)がないと、自分達の努力が報われないと考えるわけです。
確かに、子供に勉強を教えても、別に親自身の仕事や将来に何か役に立つわけではないし、親自身が難関中学の問題が解けるようになっても、(将来塾講師を目指さない限り)大して意味はないです。
しかも、子供に勉強を教える親御さんは、たいてい勉強熱心で学習意欲も高い。なので、お金よりも、「失われた時間」の方の「機会原価」を大きいと感じるケースが多いと思われます。
ということは、親自身が将来につながる勉強をすれば、機会原価的な思考から脱却でき、イライラから解放される可能性があるということになります。
さらに、中学受験を目指す小学生の子供たちが、「学校で勉強し、塾で勉強し、家でも勉強する」という「当たり前すぎて見過ごされてしまう現実」についても、親自身が勉強をするようになると、いかにそれが「大変なこと」かも実感できるようになり、イライラも減るのではないでしょうか。
ということで、親が勉強するメリットには、①子供が親を見て勉強する、②親自身が成長できる(=自分自身の時間を必要以上に犠牲にしない)という2つのメリットがあります。