灘高生が東大理3離れ 医学部志向に異変の兆し?

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灘高生が東大理3離れ 医学部志向に異変の兆し? | NIKKEIリスキリング
理系人材の憧れの職業である医師。今や医学部は成績優秀な高校生の間で最も人気のある学部だ。その頂点に君臨するのが東京大学医学部医学科に進学する理科3類。これまで合格者数でトップを走ったのは灘高校(神戸市)だったが、2021年の入試では2位に…

理系人材の憧れの職業である医師。今や医学部は成績優秀な高校生の間で最も人気のある学部だ。その頂点に君臨するのが東京大学医学部医学科に進学する理科3類。これまで合格者数でトップを走ったのは灘高校(神戸市)だったが、2021年の入試では2位に後退した。この小さな異変は何を意味するのか。

 

灘高の成績優秀者で、明確な興味・関心事のない生徒はとりあえず理3を目指すという雰囲気だった。本当に医者になりたいという人もいたけれど、どちらかと言えば、腕試しという側面が大きかったと思う」。14年に灘高を卒業し、東大を蹴って米マサチューセッツ工科大学(MIT)に進学した起業家の前田智大さんは話す。

エベレスト登山みたいなものですね。「そこに高い山がある登る」みたいな。

もっとも、医学部というのは高校時代に職業選択をしなければならないわけで、その点では厳しいです。自分の高校時代振り返っても、将来何の職業に就くかなんて全く決まっていませんでしたから。

かつての灘高は東大志向が極めて強かったが、1990年代以降に医学部シフトが進んだ。この結果、1学年の定員220人の約8割が理系に進む。2021年までの5年間の灘高の東大平均合格者数は全国3位の87.2人。1980年代の10年間平均は同2位の123.9人だったので、明らかに東大合格者数は下がっている。

以前の記事でも触れましたが、灘高が東大合格者数でトップになったのは、東京都で学校群制が導入(1967年)された翌年の1968年。

以降、昭和40年代から50年代までは灘高の東大志向がかなり強かったこと、その後平成に入ると、明らかに東大志向に変化が見られることが合格者数推移データからも読み取れます。

医学部志向になった背景はよくわかりませんが、かつての東大志向の背景には、東京オリンピック開催や新幹線の開通(ともに1964年)があったと思われます。

しかし、東大受験指導専門の進学塾「鉄緑会」の冨田賢太郎会長は「灘だけではないけれど、トップの進学校の生徒で国際数学オリンピックなどで活躍して理3に受かる実力があるのに、あえて理1を志望する生徒が徐々に増えている」と指摘する。

「敢えて理1」というより、純粋数学に興味があれば数学科、応用数学分野に興味があれば例えば物理学科とかを選ぶでしょうから、(数学を極めたければ)理1に進むのがむしろ自然だと思います。

 

「灘の生徒は面白そうやという感覚で志望校を決めるタイプが多い。半面、現実主義だし、未来を読み取る力にもたけている。将来は医師も余る時代が来ると言われる。医師以外にもっと面白い世界があると考える生徒が増えているのでは」と冨田会長は語る。鉄緑会からの理3合格者の割合は17年には6割を超えたものの、若干下がったのは理3志望に異変が起きているからかもしれない。

今回の結果が一過性のものなのか、それとも何らかのトレンドを暗示しているのか。

日本有数の頭脳集団の進む将来はなかなか興味深いものがあります。

 

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