早期教育…その先にあるもの

雑感
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早期教育が喧しい(?)昨今ですが、本日は早期教育に関する私見を記事にしたいと思います。

まず初めに、「早い段階から、あるジャンルの教育を開始する」という意味での早期教育には、ある程度のメリットがあると思います。

特に、期限(受験年齢)が決まっている中学・高校・大学受験などにおいては、一般論として、早目にスタートを切った方が有利になるでしょう。

しかし、早期教育が強調され過ぎる点にはある種の違和感を感じています。

というのも、早期教育が有利となるのは「他の条件を一定とした場合」という但書きがつくと考えるからです。

教育は多変数関数

教育の成果は(測定できるとすれば)以下のような多変数関数になっていると考えます。

「スタート時期」というのは変数の1つ(例えば1)に過ぎないわけで、それ以外にも様々な変数(家庭環境,勉強の累積時間,集中力,学習へのモチベーション,勉強法,他分野との相乗効果,科目との相性…)があると考えられます。

したがって、学習スタート時期(例えば1)という変数以外の他の変数(,x,…,,x)が同じならば、早期教育は高いパフォーマンスを得られることになります。しかし、「他の変数がすべて同じ」というのはかなり非現実的な想定です。

その変数は適切なのか?

早期スタートが有利とされる受験ですが、SNSなどを見ていると、非常に少ない変数を扱い、かつ、変数自体も歪曲されているように思われます。例えば、

F(早期スタート,教育費, 特定の塾…) というように

教育費と教育成果の間には確かにある程度の相関はあるとは思われます。しかし、教育費をかければかけるほど教育効果が高まるわけではありません

特に、昨今のようにChatGPTに代表される生成AIの急速な普及と進展により、「知りたい内容を瞬時に、ほぼ無料で、ピンポイントで教えてもらえる」という環境が整いつつある中で、「答えのある問題を人間に教えてもらうコスト」というのはかなり割高感があります。

将来的には、自宅でAIを家庭教師として使いながら、学習教材を進めていくという方向性がかなり普及するのではないかと感じています。

活用度合には個人差はあるとは思いますが、この方法がうまく機能すれば、従来の教育コストに比べて10分の1とか20分の1のコストで、同等(あるいはそれ以上)の教育効果が得られる可能性があると思います。

変数自体の変化や変数間の相互作用

もう一つ重要なのは、上記の変数(変数がいくつ存在するかは分かりませんが)の教育成果への寄与度が時間の経過等によって変わったり、変数自体が入れ替わったりするということです。

例えば、勉強へのモチベーションが猛烈に高い時期に行った勉強とそれほどでもない時期に行った勉強では成果に大きな違いがあるでしょう。

また、スマホや先の生成AIのような新しいツールやテクノロジーが出てきたときには、これが(従来には存在しなかった)新たな変数として加わったりします。これが上手に使えるか否かで、学習効果に大きな差が生まれると思われます。

さらに、以前は数学への興味がそれほど高くなく、勉強時間も少なかった学生が、(その後)物理学の超弦理論に興味を持った結果、大学レベルの微積分まで勉強するというように、個人の成長による学習分野の広がりなども考えられます。

早期スタートを切ること ≠ 遠くまで到達すること

結論として、早期教育にはある種のアドバンテージはあるものの、それのみをもって「遠くまで行ける」わけではありません

最たる例は英語学習で、幼児段階で英語教育を施せば、(自動的に)社会人になると英語を自在に駆使できる国際的ビジネスパーソンになれるわけではありません。

米国や英国のように日常的に英語を使う環境に常に身を置いていれば、英語力の強化・維持は比較的容易にできると思います。

しかし、日本語だけで十分生活できる日本のような国に居て、かつ、学校や受験でも日本語が主に用いられる状況下で、(早期スタートしたアドバンテージを維持しつつ)英語力を伸ばしていくのはなかなか困難でしょう。

また、英語だけが出来るようになっても、数億人は存在すると思われるネイティブの末席に名を連ねるだけです。

逆に言えば、(英語に限りませんが)必ずしも早期から始めなくても、遠くまで到達できる可能性があるということです。遠くまで到達するためには、長期にわたって取り組む必要があるので、(他人ではなく)学習する本人の意思や思いの方が重要となります。

早期学習自体を否定するものではありませんが、「早くスタートしないと間に合わない(≒遅いスタートは不利)」といったネガティブな風潮があるように見受けられたので、記事にしてみました。

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