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中学受験に向かない親として、以下の3つの類型が挙げられています。なかなか耳の痛い話です。
中学受験に向かない親2:「人生の選択肢」を増やしてあげたいと言う人
中学受験に向かない親3:「よい教育」を与えたいと言う人
おおた:中学受験で「人生の選択肢が増える」と思い込んでいる親御さんも、向かないと思います。
──「選択肢を増やしてあげたい」と思って取り組んでいるご家庭は多いと思います。中学受験に過大な期待を持っているということですか?
おおた:大学で医学部に入れば、お医者さんになるという一つの選択肢は増えるかもしれません。ですが人生の選択肢はそれ以外にも無数にあるものです。「選択肢を増やす」ことにこだわればそのうちの0.00何%を増やすことができるかもしれませんが、選択肢にこだわることによって失うもののほうが大きいでしょう。
『なぜ中学受験するのか?』では「受験エリートの落とし穴」と書いています。勉強をがんばることによって、一般的にランクが上とされる学校に入ることができたとします。すると、ランクが下の学校との差の分だけ、人生の選択肢が増えたように見えることがありますよね。でも、そういう理屈でがんばった人は、なんでもこの差分のなかから選ぶようになってしまいます。
実は、「何かを選択する」ということは、その他のことを諦めるということであり、選択肢を徐々に狭めていくことになるのは事実です。
今も昔も同じですが、それこそ幼少期の頃は「(職業は)何にでもなれる」わけです。
大学生位になると(専攻とかで)多少方向性は狭まりますが、それでも選択肢はかなりある。
ところが、大学を卒業して会社に就職すると、選択肢がグッと狭まる。
家庭を持つこと(結婚)も見方によっては(その後の人生の方向性をある程度規定するので)選択肢を狭める行為と言えるかもしれません。
「何にでもなれる」自由というのは、自分が「何者でもない」ということと表裏一体だと思うのです。
もちろん、選択肢は狭まるばかりではなく、転職したり、留学したり、あるいは新たな人と出会ったりする中で広がりを見せることも多くあります。
大切なのは、視野を広く持ち、多くの選択肢を検討する「力」を身につけること、自分で「決断」して方向性決めていく(=選択肢を狭めていく)こと、新たな選択肢を「見いだして」いく(=選択肢を広げていく)ことを繰り返しながら、自分らしく生きていくことだと思うのです。
そうした力、その楽しさを、子供に身につけさせて(経験させて)あげたい、この記事を読んでそう思いました。