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グループワークやプロジェクトを多く行うため、コミュニケーション力のある学生や、思考力がある学生など、さまざまな能力を持つ学生を各グループに分散させるために有効な方法を模索していた。
(中略)
入学方式別に学生の特徴にも傾向が出るため、学籍番号順で割り振ると、さまざまな特徴を持った学生を分散させることができるというわけだ。
(中略)
しかし実は少子化の影響で定員割れが続く中堅以下の大学では、この推薦入試が早期学生獲得の手段として必要以上に活用されてしまっているのが社会問題になっている。 中には入学者数を増やすために、半数以上の学生を学力試験のない推薦入試で入れてしまう大学も増えており、学生の学力不足によって授業が成り立たない大学が出てきているのも現実だ。
(中略)
大学生活における入試制度別の学生の状態や傾向について書いたが、就職活動でも当然それらの影響は出てくる。
(中略)
このような背景もあり学力(=情報処理能力)を重視する企業は、偏差値の高い大学だけで評価することはせず、その大学にどの入試制度で入学したかまでを面接で聞く企業もある。
複数入試制度導入目的
昨今の大学入試では(大学入試改革の一環として)一般入試比率が低下し、推薦入試をはじめ様々な入試の比率が高まっています。
様々な能力を持つ多様な学生を選抜することで、大学教育(授業)を活性化することが本来の目的であると思われますが、入り口のハードル(=入学基準)を下げただけという結果に留まっている大学も多いように思います。
本来、その大学で4年間学んだ内容が重要なのであって、「(4年前に)どの入学制度で入学したか」などは関係ない話だと思うのですが、4年前の選抜方法を採用の参考情報に利用しようとする企業の採用活動における自信の無さ、大学教育に対する信頼性の薄さが伺えます。
入学のハードルを下げること自体は構わないと思うのですが、大学4年間で学生をどのように育成するかという話になると、あまりうまく機能していないと思えるのです。
大学教育への期待感
(大学卒業後の)雇用環境においては終身雇用が崩壊しつつあり、かつ、若年層の離職率も高まっています。
「新卒採用」と「終身雇用制度」が日本企業の競争優位の源泉と言われた数十年前、社会全体として、「大学教育にほとんど期待していなかった」と思います。私が学生の頃は、まさにそうした時代でした。
大学時代は一種のモラトリアムの期間でした。「就職したら定年まで会社勤めになるのだから、のんびり過ごせるのは学生時代位しかない。」という前提で自由気ままな学生生活を送れる時代でした。
大学側も真剣に教育するという姿勢に乏しく、自分が書いた本をただ朗読するだけの授業を展開する教授がいたり、あるいは、そうした何の魅力のない授業でも簡単に単位が取れる授業が人気だったりしました。
しかし状況が変わった現在では、大学教育に寄せられる期待が大きくなっているように思います。
教育のあり方に関する抜本的議論の必要性
数年前、「L型大学」、「G型大学」といった議論があり、反響を呼びました。
極端な部分だけが注目されてしまい、序列の固定化とか2極分化といった弊害の方がクローズアップされてしまった感があるのですが、抜本的な改革を行う議論の出発点として、有意義な視点だったと思われます。
特に、昨今のように社会人のリスキリングが注目されつつある中で、単なる入試制度の話ではなく、(生涯教育を視野に入れた)大学教育の中味や役割について抜本的な検討が必要な時期にあると思うのです。
少子化の中でハードルを下げざるを得ない大学の苦しい台所事情も分かりますが、目先の学生集めに腐心するだけではなく、大学4年間でどのように学生を育てていくか、一旦社会に出た人材が大学で再び学び直すために大学の果たす役割をどう考えるか。
それぞれの大学が置かれている状況は異なると思いますが、教育内容そのものを抜本的に見直す必要に迫られている大学の数は多いと思います。