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特に中学受験をテーマにする際、必ず問いかける質問があります。「皆さんの考える教育の『目的』は何ですか?」と。
すると「自立した大人になるよう支援すること」「子どもがやりたいことを見つける環境を整えること」という答えが大多数を占めます。また、ストレートに「偏差値の高い大学に入ってもらうこと」と口に出す人こそいないものの、もはや暗黙の了解になっているのだな、と感じます。
しかしいまの時代、「日本で高偏差値の大学に入ることが子どもの幸せに直結する」と、どこまで確信を持って言い切れるでしょうか。 「IQよりEQ(Emotional Quotient:心の知能指数)」と言われるように、どんな学校に入るかとか、どんな企業に入社するかといった表面的な成果を目的にするのではなく、「幸せになることが得意な人格」の形成を目的にすべきだと私自身は思うのです。
なかなか難しい問題です。
総論としては、「自立した大人」、「子ども自身がやりたいことを見つける」といった方向性が重要と思います。
しかし、「言葉の持つ意味合いが多様であること」、「それをどうやって実現するのか」という方法論も色々考えられることから、いざ具体化するとなると(選択肢の幅が広すぎて)難しい。
結果的に、偏差値という分かりやすい指標に頼ってしまう傾向があります。
現在のような不透明な時代において、「変化を恐れず、答のない問いに対して、自分で考えて行動するプロアクティブな人材が必要」なことは異論はないでしょう。
確かに、こうした「人材像」と、受験で問われる「答えのある問題を短時間に正確で解く能力」とは、あまり関係はなさそうに思われます。
しかし、上記のような人材をどうやって育成するのか、定まった手順書やプログラムがあるわけではありません。
偶然性や試行錯誤の中で培われていく部分、個人の能力や気質に係る部分も多々あるように思います。
となると、(手順書やマニュアルが整備された)学歴を手に入れる方向性に向かうのも無理からぬことかもしれません。
子供を持つ親として、自身の固定観念や古臭い考え方で、子供の方向性を縛らないように注意しようと思います。